青二才のくせに生意気だ。

23歳の青二才が体験したことや、考えたことをアウトプットするためのブログです!

3.11の話。ヒッチハイクで出会った東北のおじさんが教えてくれた東日本大地震。

どうも!

 

今日は3月11日。

 

東日本大地震から6年。

 

まだ10代で、世間のことは何も知らない僕でも事の重大さは、

一日中流れるニュースで伝わってきました。

 

東日本に住んでるから地震も大きかったけど、

一番大きな被害が出た津波の被害はありませんでした。

 

しかし、僕はヒッチハイク岩手県を横断している時に、

乗せてもらった運転手の方から"リアルな津波の話"を聞く事ができました。

 

今日のテーマ:

3/11の話。岩手のおじさんが教えてくれた東日本大地震

 

 

その時は、確か青森へ向かうヒッチハイク3日目で、仙台から岩手県へ向かおうとヒッチハイクしている時でした。

季節は、9月中旬。

 

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(少し生意気そうですね笑) 

 

 

こんな感じで1時間くらいスケッチブックを掲げている時、

40~50代のおじさんそのお母さんの車が止まってくれて、

岩手県まで乗せてもらえることになりました。

 

1時間近く立っていたので、本当にありがたかったです。

 

目的地まで乗せてくれるだけでありがたいのに、

「お前ら腹減ってるだろ」とラーメンまで奢っていただけることに。

 

寒い時に、食べる味噌ラーメンはとっても美味しかったです。

 

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ラーメンも食べ終えて、海岸沿いの道を走っている時、地震の話になりました。

 

こちらとしても、現地の人に地震津波のお話を伺うのは、

失礼かなと思ってました。

 

でも、少し悲しそうに当時のことを教えてくれました。

 

「ここら辺も地震の時はすごかったんだよー」

と悲しそうに話し始めてくれた。

 

「その当時はトラックの運転手やっててね」

「ちょうど海岸沿いに運転してる時に地震きてさ」

「逃げようにも混んじゃってて」

「なかなか高台まで逃げられなかったんだよ」

「そうしたら、波が手前まで来ちゃったから」

「とりあえず、トラックの荷台に上がったんだけど」

「トラックごと流されちゃったんだよ」

「このまま死んじゃうのかなーって思いながら流されていたら」

「たまたまトラックが家の2階部分に引っかかってくれたから」

「その家の屋根に飛び移って、そのまま屋根の上で一晩過ごしたんだよ」

「まー、なんとか一晩経って救出された後に、道を通って避難所に向かう時にね」

「そこら中に津波に流された人が転がっててね」

「家族は無事だったけど、友人も流されちゃってつらかったよ」

 

 

 

と話してくれた。

その先は、聞けなかった。

僕たちは、ひたすらうなずきながら話を聞くことしかできなかった。

 

その方は、救出された次の日からすぐに、会社に残っていたトラックを使って、

救援物資を取りに行ったらしい。

被災者でもあるおじさんが、みんなのために動いていた。

 

その時に、より乗せてくれたその人の優しさがわかったと同時に、

急にヒッチハイクしてることが申し訳なくなった。

 

タダで乗せてもらった挙句に、ごはんまで奢ってもらった。

僕らができるお返しは、お礼を言うことしかできない。

 

そんなことを考えて、少し暗い顔していたと思う。

 

そんな考えながら、目的地で降ろしてもらう時、おじさんから

 

ヒッチハイクするなんてすごいよな」

「これから君たち若い人が、

 日本を元気にしていってね!」

 

乗せてくれた上に励まされてしまった。

 

 

 

 

 

 

それから1年が経った。

まだ社会人にもなれていないし、社会に貢献できてもいない。

 

でも、あの時被災した生々しいお話が聞けたこと・励まされたことは、

ずっと心に残っている。

 

 

おじさんの言葉を忘れず、社会を少しでも元気にできるように頑張っていきたい。

  

 

 

今日も覗きに来てくれてありがとうございます!

 

ではまた明日!