青二才のくせに生意気だ。

23歳の青二才が体験したことや、考えたことをアウトプットするためのブログです!

セレッソ大阪の優勝がモヤモヤするって話。

久しぶりに家でゆっくりしていたら、テレビでルヴァンカップ決勝がやってた。

そんなにじっくり見るつもりなかったけど、ついつい最後まで見てしまって……。

 

セレッソ大阪の優勝で幕を閉じた訳ですが、個人的に後味悪くて、なんかモヤモヤする試合だった。

理由は単純。時間稼ぎが目についたから。

 

プロの試合ではよくあることなんだけど、勝ってるチームは時間稼ぎをするんですよ。

交代の時にわざとゆっくり歩いたり、接触プレーがあった時は必要以上に足を痛がってその場でうずくまったりする。

 

今回のセレッソ大阪は、ひどい時間稼ぎはしてなかった。

してなかったけど、それでもコーナーキックを蹴らない、その場でボールをキープする時間稼ぎはしてました。

 

<参考例>


時間稼ぎ

 

 

 

上記のプレーはルール上OKだし、勝つためには必要なことかもしれないです。

でも、どっちのサポーターでもなく、ただのサッカーファンからするとつまんないよね。

 

別にどっちが勝ってもいい、純粋にサッカーを見にきてる人からすると、つまんないんです。

なぜ、つまんないと感じるんだろうと考えました。

 

考えた結果、僕たちはスポーツに芸術性を求めている

 

例えば、私はよく海外サッカーを見るのですが、メッシのドリブルは芸術の極みです。

ボールタッチの繊細さ、誰も思いつかないドリブルルート。

見てるだけで惚れ惚れします。

芸術的と思えるくらいまで洗練されたプレーをサッカーで見られる。

だからこそ、メッシは偉大なのです。

 

別にメッシの勝利が見たい訳ではない。メッシの悲願であるW杯優勝はしてほしいという気持ちは多少ありますが。

多くの人は、メッシの芸術的なプレーが見たいんです。

美しい絵画を見るような気持ちでメッシのプレーを見ています。

 

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そもそも、スポーツはあくまでも娯楽であって、社会的にはなくても生きていける産業です。

芸術やアートもそうですよね。

別にアートがなくても生きていけます。

 

では、なぜあるのか。

生活を彩るからです。

どこかのサポーターでもない限り、多くの人はスポーツに芸術性を求めているのではないだろうか。

少なくとも僕はそう思っています。

芸術的にまで押し上げられた洗練されたプレーを見ることで、美しい絵画を鑑賞したかのような気持ちになります。

僕はその気持ちをサッカーを見て味わいたいのです。

 

そうやって、芸術性を求めてサッカーの試合を見ているのに、勝つための時間稼ぎを見せられるとげんなりしてしまいます。

 

 

 

しかも今回が1点差を争う試合ならまだしょうがないですが、2点差ついた後も同じプレーをしていました。

 

2点差ついて、ほぼ確実に勝てる試合なら普通にコーナーキックすればいいのに。

どっちかがそういうプレーしだすとサポーター以外は見る価値のない試合へと成り下がります。

 

そりゃサポーターは勝てば楽しいですよ。

その地域には経済効果も生まれるでしょうよ。

でも、それでいいんですか?

 

ずる賢いプレーをするチームには、イヤな感情がついてしまいます。それってチームの印象的に最悪だと思います。

いつかはそのプレーを忘れるかもしれないけど、そのイヤという感情はのっぺりと残りますよ。

セレッソ大阪のチーム戦略的には、どうにかして回避したい感情だと思います。

だって、ファンになってもらう可能性が減りますからね。

 

 

南米の方では、マリーシアといって、ずる賢いプレーは勝つために必要なプレーだとされていることもありますよ。

でも、それって頭良いけど、気持ちよくはないよね。

 

まとめ

時間稼ぎせずに、もっと芸術的なプレーを目指しませんか?

セレッソ大阪を中傷したりする意味ではなく、もっと良いプレーをしてほしいなと思って書きました。

 

ちなみに、どこのサポーターでもないです。

ただのサッカーファンです。

サッカーを芸術的と言われるようなプレーを高めてほしいなと思います。

一時的な勝利のために、つまんないプレーしないでほしいです。

 

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サッカーの地位向上のためには、そういう心がけが必要だと思うのですが、皆さんはどうでしょう。

色々な考えを教えてください。